ヤマトタケル神社で、伝統芸能が活気づく春の祈りに触れる
日本武神社(十六様神社)・その例大祭
歴史・文化
- 伝統芸能
- 史跡・資料館
- 子どもと一緒
- 神社仏閣・札所巡り
- 祭り・イベント
- 終点の風景
2026.3.11
6世紀に神々が祀られ、今も崇敬される「十六様」
般若地区の山あい、赤平川に注ぐ長留川沿いに鎮座する、日本武(やまとたける)神社。明治時代の神仏分離を経て現在の社名になりましたが、古くは大般若経の守護神、十六善神(じゅうろくぜんじん)を祀る「大般若 十六善神社」と称され、地元の人々はいまでもこの神社を「十六様(じゅうろくさま)」と呼んでいます。はじまりは、6世紀(欽明天皇十三年)、全国的な飢饉の際に祈願の社として創建されたと社記に伝わります。祭神は保食神と、秩父地域に東国遠征の伝説を数多く残すヤマトタケル。
境内の鳥居を入って右側には、ヤマトタケルが腰掛けたと言い伝えられる石が残されており、人々から親しまれています。
ちなみに、神仏習合の時代に別当般若院の管理だった、本尊、掛軸、大般若経をはじめ、仏教色のある物はすべて、般若地区内の通称「横山観音」の境内に移転しているそうです。
3月のお祭りでは、家内安全や安産などが祈念される
日本武神社の例大祭は、毎年3月の第2土曜に行われています。長若全域(般若地区と長留地区)から訪れる氏子が、家内安全や五穀豊穣、火防、交通安全、安産などを祈願します。かつては、『正五九(しょうごく)の一六日』として旧暦の正月、5月、9月に祭礼が行われていましたが、神仏分離以降に3月5日と6日に改められ、近年さらに現在の日程へと変わりました。
例大祭当日は、社には幟が立てられ、氏子によって赤飯が神前に供えられ、そして、神楽や歌舞伎が奉納されます。
地域の暮らしと深く結びつき、時代とともに形は変われど、大切に受け継がれる祈りの行事なのです。
明治期に端を発し、いまも活気に満ちた神楽と歌舞伎
祭礼当日は、神楽や歌舞伎が奉納され、参拝者だけでなく写真を撮影する人々でも賑わいます。
神楽は、明治5年に秩父市吉田井上の貴布禰神社から伝えられたという歴史があり、現在も明治時代に作られた面や衣装が使われています。「岩戸開」や「大蛇退治」など十七座が担われ、昭和46年には町指定無形民俗文化財となりました。
夕刻に上演される歌舞伎は、芝居の一座であった「大和座」の流れを汲み、明治33年に坂東彦五郎を師匠として始めたとされます。以降、「十六若連」と呼ばれる若衆を中心につけ祭りとして行われてきました。舞台は当初、仮設でしたが、現在は平成8年に建て替えられた神楽殿で上演されます。代表的な演目は「太功記」「菅原伝授手習鑑」「寿曾我対面」など。
一つの舞台を用いて、神楽と歌舞伎を同じ人が上演する例は、全国でも珍しいものといわれています。
それぞれの時代で住民の想いのバトンがたしかに手渡されてきたからこそ、十六様の祭りと伝統芸能からは、今なお、色褪せない地域の誇りが伝わってきます。
令和8年のお祭りは、3月14日(土)‼
お祭りの見どころである、歌舞伎のスケジュールです。
【出演】小鹿野歌舞伎保存会 十六部会
午後4時~ 十六嫩三番(じゅうろくふたばさんば)・花の口上 小鹿野中学校2年生
午後4時15分~ 「 絵本太功記十段目、尼ケ崎閑居之場、夕顔棚より」
以下、中心となる十六若連からのメッセージ(当日のプログラムより抜粋):
「世界中を襲ったコロナウイルスにより、稽古等の実施ができないことから、5年間の長きわたりに、歌舞伎上演を断念した時期もありましたが、一昨年から若連としての歌舞伎上演を行う事ができ、普段通りの生活が戻ったことに改めて感謝しているところであります。
十六若連では、当地日本武神社例大祭の歌舞伎上演を通じて、諸先輩の伝統を受け継ぎながら、地元の交流と地域おこしに取り組んでおります。今まで長年にわたり培った技と伝統を皆様にお伝えしたいと考えております。
そして、今回も地元中学生による『十六嫩三番・花の口上』が上演されます。学業や部活動の合間の中で、一生懸命に舞台に立ちたいと思い、稽古に励み練習を重ねた姿をご披露いたしますので、どうぞ最後までごゆっくりとご観覧賜りますようお願い申し上げます。」

